長崎に原爆が投下されてからちょうど1年後の昭和21年
戦後の混乱からスポーツの分野でも活気を戻そうと第一回国民体育大会が開催された
その近畿国体での種目の一つ、自転車競技が奈良県の橿原競技場にて行われ
翌、昭和22年の石川国体での自転車競技は金沢市の市陸上競技場
そして第三回、福岡国体の三萩野競輪場にて行われた自転車競技が
スポーツの枠から飛び出し、賭け事の世界にと向かった
三萩野競輪場(小倉競輪場)での国体自転車競技の閉会後
自転車競技法が改正され
それまでの「自転車その他の機械の改良及び輸出の振興、機械工業の合理化」等の内容に
「地方財政の健全化を図るため、この法律により自転車競走を行うことができる」
との文面が追加され
1948(昭23)年11月:小倉競輪場にて初めて発売された
単勝及び2着までの複勝の二種類の車券に民衆が酔いしれ
あっという間に全国に波が押寄せた
1948(昭23)年12月:大阪住之江開設
1949(昭24)年:大宮、西宮、川崎、鳴尾(後の甲子園)、久留米、豊橋、小田原、千葉、松本
防府、岐阜、京王閣、長崎、神戸、名古屋、後楽園、松山、京都、和歌山開設
1950(昭25)年:岸和田、取手、大阪中央、玉野、宇都宮、会津、明石、弥彦、大津(びわこ)
前橋、武雄、福岡、高知、松戸、札幌、別府、奈良、松坂、村山(西武園)、花月園
松江、福井、門司、高松、青森、函館、小松島、熊本、豊中開設
そして観音寺町(現:観音寺市)でも400mバンクの競輪場が建設され
1950(昭25)年:観音寺競輪場にて開催される
時期を同じくして平、富山、伊東温泉、平塚、一宮、佐世保、向日町
立川、霞ヶ浦(四日市)、大垣、広島、静岡と開設され
昭和の時代、多くの観客で賑わい
また自治体の財政に寄与し続けた競輪であった
<昭和56年度・観音寺市主催・連勝式車券>
しかし
娯楽の多様化にともない観客数も減少し始め
松本閉鎖を皮切りに松江、豊中、京都(宝ヶ池)、札幌、神戸、明石、大阪中央、福岡
会津若松、大阪住之江、長崎、後楽園、門司、甲子園、西宮、花月園、大津(びわこ)
向日町と次々に引き潮にのみこまれ
2012(平24)年:事業不振を理由に観音寺競輪場も、その歴史に幕を下ろす
香川県観音寺市
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